尾張地域:清須市「柴田家住宅」
○日 時:2012年2月11日(土) 14:00〜16:30
○場 所:登録有形文化財建造物 柴田家住宅
清須市西枇杷島町辰新田65
○参加人数:ボーイスカウトボーイ隊(小学6年生・中学1〜3年生)14名、
ボーイスカウトカブ隊(小学3〜5年生)12名、引率5名
○スタッフ:24名ほか(所有者関係者3名、野点関係者10名、お囃子関係者11名ほか)
○プログラム
時 間 | 内 容 | 場 所 |
14:00〜14:30 | 西枇杷島問屋記念館で街の成立と歴史を学ぶ (清須市ガイドボランティア) |
西枇杷島問屋記念館 |
14:30〜15:00 | 柴田家住宅の建築的特徴 建築士 林廣伸氏 | 柴田家1階応接間 |
15:00〜15:30 | 柴田家住宅内の見学 柴田家当主 柴田正康氏 | |
15:30〜16:00 | 東六軒町祭囃子の出前演奏 | 柴田家2階座敷 |
16:00〜16:30 | 野風炉(携帯野点)による抹茶体験 | 柴田家1階土間 |
○建物の特徴・事業の内容
柴田家住宅は東海道熱田宿から中山道垂井宿までをつなぐ美濃路(清須市西枇杷島町)に沿って建つ商家である。この商家近くの庄内川橋詰めには、名古屋城築城に前後して、江戸神田、大阪天満と並ぶ三大青物市場が形成された。その市場で落ちるお金を目当てに問屋を中心に商店街が自然堤防に沿って成立していった。柴田家はその一つであり、飴(金平糖)を製造・卸・販売をしていた。
そんな中で地域では富の蓄積がなされ、地域全体として5台の山車を持つまでになった。山車にからくりが設置され、西枇杷島祭りが行われるようになり、祭囃がかまびすしい祭礼が執り行われるようになった。
しかし、1891年に濃尾大震災が発生して、庄内川の自然堤防沿い(美濃路沿い)の家屋は壊滅的打撃を受けた。その後復興がなされ、柴田家住宅は1896年に再建されている。この商家の特徴は「ミセ部分に広い無柱空間を確保するため、屋根の重みを上屋受桁で受け、交差する大梁に架けて、いわゆる『十字梁』で受ける」構造にあり、京町家でない、いわば尾張町家と呼ぶにふさわしいものとなっている。
今回はボーイスカウト(中村区にある団)と連携して上記のようなプログラムを実施した。特に祭囃は屋内で演奏したため、体に響くほどの迫力があり、また一風変わった抹茶をいただくなど、独自の空間での貴重な体験を提供した。
○所有者コメント
体験内容を理解できる中学生の来訪を希望していたが、小学生14人(内小3、小4,11人)、中学11人、と聞いて思わず絶句。どうなる事かと危惧しながら始まった体験会は、ボーイスカウトの訓練と質の高さを実感。見学者、付添、祭囃子方、茶点前係、説明者と総勢70人が拙宅に犇めき、テンヤワンヤでしたが、終わってみれば、愉しい体験でした。次の機会があれば、もっとスムーズに、もっと楽しんで貰える様にしたい。
○当日の様子